YAMAHA大好き!!!

レコパル

2012年07月09日 02:45

いよいよキャンプネタが尽きた・・・



とっ思うでしょ、今時期はレコパルのキャンプ原点ともいうべき鈴鹿8時間耐久レースの開催の月・・・
ここのところ、バイクネタに振る皆様が若干いらっしゃいますので、あえてこのネタで

つなぎだと思っていらっしゃる方・・・つなぎはkushitaniでしたよ、えっ????
そもそも、YAMAHAとの出会いは、オーディオから、レコパルの名前からお分かりのように、高校生時代、オーディオにとち狂ってました・・・毎日毎日、学校の帰りは、ベスト電器のオーディオフロアーへ
そこにいた、営業マンが実は、YAMAHAからの派遣社員だったみたく、YAMAHAのアンプを見事に購入することに・・・


YAMAHA CA-R1

VUメーターではなく、ピークレベルメーター装備、プリ部とメイン部が独立設計で切り離してグレードアップ可能、クラス初、MCヘッドアンプ搭載、当時49800円でのプライスが多かったのに対して、69800円と、金額も一回り上であり、上位機種のCA-1000(定価10万円)とCA-X1(定価49800円)との間を埋める機種として発売

御多分にもれず、バンドブームもあり、エレキギターも
YAMAHA SF-700

プログレッシュバンドYESのキーボード奏者リックウエークマンに憧れ、またシンセサイザー奏者の富田勲氏に傾倒していた頃で、友人からローランドSH-2000(定価15万円)を2万円で譲り受け、練習するも、挫折・・・ではと、エレキギターに鞍替え下取りという手段で、交渉したら、4万円にしかなりませんと・・・・「がーん」「そうーですか、仕方ありません・・・」(にやり)
SF-700(定価7万円)とグヤトーンのギターアンプ(2万円)純正ハードケースはおまけでつけてもらって追い金、5万円で見事にゲット、見事に挫折して見事なくらい新品に近い状態で、実家の2階に保管中・・・それがなにか???????


とっここまでYAMAHAはYAMAHAでも、日本楽器のYAMAHAなんですねぇ~
知ってますか???トップをかざるYAMAHAのロゴと音叉マーク、音叉マークの3本の先端が2重になった円を突き抜けてるのがYAMAHA発動機で、突き抜けてないのが日本楽器だということ、そして、Mが真ん中のVになった下部の先端が下まで届いているのが、発動機で、途中までで折り返しているMが日本楽器のYAMAHAだという真実
バイクネタに入る前段が長くなりましたが、高校時代何とかYAMAHAの400CCバイクが欲しかったのですが、親の反対に合い、仕方ないので、二十歳になるのを見計らって、購入したのがこれ
YAMAHA XJ-400

ジエネレーターをエンジン背後に配置して4気筒マルチにかかわらず、2気筒並みのスリムさを実現、クラストップの馬力数とYAMAHAならではの優雅なデザイン、ティアドロップのタンク形状とサイドカバーまでの流れるデザインは洗練されて、かつ、クラス最長のロングホイールベースにより、750CCバイクにも負けない車格、クラス初のダブルホーンと新時代マルチの指針をYAMAHAは提案しました・・・・・とっ思ってます!!!

横道にそれますが、世はAV時代に突入時期・・・んっ「アダルトビデオ」ぢゃあないよ!!(爆)「オーディオ・ビジュアル」
レーザーディスクを買いました

YAMAHA LV-L1

当時としては高画質な水平解像度400本、10万円を切る99800円はYAMAHAの英断に拍手を送りたい!!
そーなると、アンプもAVアンプを!!!
YAMAHA AVC-50

このアンプでサラウンド聞かせて臨場感たっぷりに、かつ、背面プロジェクターではありましたが、40インチ大画面で見る、スターウォーズのオープニングに夜な夜な人が集まり、シアター週末宴会に・・・

話を戻しましょう・・・
しかしながら、やはり、750CCが信号で同時にとまると・・・・
車検残1年程で限定解除した勢いもあって、中古だけど憧れのYAMAHAの750ccに・・・
YAMAHA XJ-750E

一応断っときますが、今更画像は無いんで、ネットからの借用、すーべーて借用・・・・
かろうじて400ccはノーマルで手放しましたが、750ccのXJ、画像のマフラーは集合ですが、レコパルはyoshimuraの集合に、メーカー覚えずのバックステップ、シートあんこ抜き、ハンドルはトマゼリのセパレートハンドルに交換で完全峠仕様でしたタイヤはダンロップのK-300だったかな・・・


同時期、ツーリングキャンプに目覚めたきっかけになったのがこのバイク、ホワイト・レッドだったけどこの画像しか無くて・・・
YAMAHA DT-125LC

オフロードの楽しさをぞんぶんに味わいました、鈴鹿に行くまで、レースと言えば、全日本モトクロス選手権しか見たことありませんでしたし、周りの友人も、80ccクラスのモトクロスをやってたくらいで、やっとオフロード車を持てたんで、嬉しかったに違いありません

多分82年頃の話・・・っていうのも、このXJ-750Eをベースに83年84年と鈴鹿8時間耐久レースにYAMAHA社内のプライベートチームが改造を施して出場していたんですねぇ、そもそもシャフトドライブのXJ-750E、ヨーロッパ向けに作っていたので、メンテナンスフリー、アウトバーンをかっ飛ばすのに、チェーンドライブではなく、シャフトドライブをチョイスしたYAMAHA、その前の旗艦バイクのGX-750、3気筒マルチ、シャフトドライブ採用の流れからそうなったんでしょうけど、アクセルのON・OFFでシャフトドライブ特有の後輪が右に振れるのを解消するために、XJ-750E(改)はシャフトからチェーンへ、それに伴って、駆動方向が異なるため確か、ギアBOXを逆に、それを補うため、複雑なリンク機構でチェンジペダルをシフトしていたと記憶してます、84年の最終型は確か、YAMAHAワークスのGPマシーンのアルミフレームに移植、上位に肉薄する成績で84年シーズンを終わったはず・・・

翌年(だったか???)発売されたのがこれYAMAHA FZ-750

以前のXJみたいに中途半端なポジションではなかったので過激な改造はなかったけど、とりあえずお決まりのyoshimuraの集合だけは・・・それと純正のシングルシートカバーかな

1985年春、愛するYAMAHAから重大発表が!!!この年は自分にとって一大転機でもありました、
「’85suzuka8耐、YAMAHAワークスとして参戦!!!!」
この年、公称23万人の観客と言いますが、レコパルさえいったくらいですから、多分25万人は入っていたと思います、思いたい、思わざるをえないくらい多かった・・・その年から、連続9年1993年まで、鈴鹿8耐ツアーやりました・・・
自分的にグルキャン全盛期、グルキャンのノウハウはもとより、ツアーの企画、チケットの手配、ツアー中イベントの企画、司会進行、パンフレットの作製まで考えつくありとあらゆる事をやって、85年たった1人で乗り込んだ鈴鹿から、9年間で年平均15人、延べにして、130人越えで企画していた頃が懐かしい・・・

その企画、運営の勢いで、89年バスツアーを単に発し、翌年から白馬スキーツアーも企画、どーもそれくらいからバイク熱が下火に、大きいバイクから、オフロードバイクのみに気持ちが移行・・・
FZを下取りに、ほとんど手出しなしで、このバイク
YAMAHA DT-200RLC


とっまぁ、バイク遍歴を兼ねた話でしたが、YAMAHA発動機、楽器メーカーがなぜ、発動機に行ったのか??
実は、ゼロ戦のプロペラの羽からなんですね、木工技術のノウハウがある、日本楽器に時の政府(軍)からの要請で製造に至ったという経緯が・・・、またこんな知る人ぞ知る、トヨタとの関係、TOYOTA 2000GT、クラウンのM型エンジンSOHCのヘッド部分をDOHC化ヘッド換装したのがYAMAHAですし、現在のTOYOTA 86の前身、AE-86の4AGエンジン、はもとより、TE-27の2TG、18RG、セリカXXに搭載された、1G-G、3SGエンジンにYAMAHAの打刻が打たれているのは業界のみならず知る人ぞ知る事実、おっと忘れてました、2000GTのステアリングとインパネ周りのローズウッドの加工担当もYAMAHAなんだな・・・
最新のTOYOTA V10エンジンにも打刻があるらしいが、そこは未確認・・・・


うーーーーーーーーーーーん、締めがよろしくないが、自己満で綴った分専門用語やマニアな内容になったが仕方なしと言うことで・・・・・

YAMAHA最高!!!






テント出してなかったよな、YAMAHA・・・・ヘリコプターは出てた・・・けど

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